バーチャルがリアルを超えてしまった人々について

オタク、という言葉からポジティブなものを連想する人はあまりいないだろう。
見た目がダサくて、コミュニケーションが苦手で、などなど、あまりいいイメージはわかないと思う。

これが、野球オタクとかになってくると、またイメージが違う。
なんとなくアクティブで外向きな、明るいイメージも感じられる。

シンプルに「オタク」と言った場合、何に対してのオタクなのか?

だいたいはアニメとか漫画とかゲームとか、ちょっと古い言い方をしたら「アキバ系」ってやつを指して使われる。
なぜアキバ系オタクは見た目がダサいのか(ダサくないオタクだってたくさんいる!というオタクの意見もあるだろうが、世間的にはこういうイメージなのだと自覚できていない時点で、そんなこと言っているオタクはやっぱりヤバい)。

それはやはり、よくないイメージで挙げたように、コミュニケーションが苦手だからだと思う。
アキバ系文化というのは、人と関わることを特別必要としない趣味世界だ。ひとりで観てひとりで読んでひとりで集める。偶像崇拝にも近い。団体種目はオタク向きではない。
悪く言えばリアルからの逃避場所として、仮想世界に没入する。
人と関わらないのであれば、ダサくたってなんだって、見るのは自分だけだ。

オタクだからコミュニケーションが苦手、というよりはコミュニケーションが苦手だからオタクになった。
鶏と卵のような話だが、こんなところだと思う。

ここまでは前置きだ。

現実逃避

インターネット、とりわけSNSの発展によってコミュニケーションの苦手な人々の逃避場所が増えた。

そこからさらに踏み込んで、この世界をリアルより重んじはじめる人がいる。
普段はダサくてイケてない自分をいくらでも格好よく見せるツールが揃っている。
1000枚に1枚の奇跡の自撮り、なんなら顔なんて晒さなくても愛されてしまうイケボ、恋愛通の詩人のようなツイート。

初音ミクの音源からプロミュージシャンになったりYouTuberからタレントになったり。
サンプルモデルがたくさんあるから、きっとイケてない自分を変えたい、でも変えられない(変える努力もしていないのかもしれない)人々が、自分も自分もと「ネット弁慶」しはじめる。

こういう現象はすごく気持ち悪い。

ネットで過ごす時間が現実に

ただただ「こんばんは、はじめまして」「ありがとうございます」「髪切ったんだね」などなど何の中身もない生配信をするために時間を割いている人を見ると、正直引く。見ないけど。
それにかまってあげる人にも、引く。
チヤホヤされたいのだろう。
そういう形でしか人と繋がれなくないリアルとネットの顔の乖離は、きっと本人もわかってる。
わかってないならわかってない方が幸せか?

2ちゃんねるのような匿名の集合体から発展し、ニコ生やTwitterで匿名の中のキャラクターを作りだし、そここそが自分の場所になってしまうネット弁慶
オタクとはまた違う形で、リアルから遠いところで自己愛と歪んだ稚拙な羨望の中で生きている。

少なくともぼくはSNSでそういう兆候を感じる人には近づけないでいる。
それは、アニメも漫画もゲームも、関係ない話。