ジャンプが最近つまらないことについて

それにしかないパワー、というものについて時々考える。

たとえばひたすらに歌詞世界にこだわり続けるリスナーには、「それ音楽じゃなくてもよくね?CDじゃなくて詩集でも買えば?」と思ってしまうわけだが
音楽というフォーマットに乗っかることで歌詞カードに載らないYeah!が歌詞以上に大きな意味を持って届いたりもする。

どういうフォーマットのものにしろ、それのストロングポイントというのはある。
それを活かしているものはきっと優れている、はず。

マンガならではの表現

ライトノベルのような、モノローグを中心とした展開の仕方はマンガ的にはあまりスマートとは言えない。

「ぼくは、清涼院翼。聖マリアンヌ学園に通う高校一年生だ」

とか、まあこれ適当にありそうなの書いたんだけど、こういう始まり方ってマンガである必要ないよな。
この文章に、画がおまけでついてるような構図になってしまうと思う。

もちろん、モノローグが必要なところがあるのは分かるし十把一絡げで糾弾することはできない。
でもやっぱ文章が多すぎるマンガはちょっとナンセンスだ。

圧倒的画のテンションによって読者を納得させる(もしくは納得したような気分にさせてくる)ようなマンガもたまにある。
ハチワンダイバー」とかね。
というか、ハチワンダイバーを読み返していて、マンガってこうだよなと感じた。

マンガなら画で魅せろ

そういえば「嘘喰い」を読んで思ったのは、登場人物のルックスが頻繁に変わる割に描き分けできてなくて見分けにくいってこと。
これもすげーマイナスポイントなんだよな。
読んでて手が止まるのって最悪。

そういう意味では手塚治虫とか藤子不二雄の最低限の筆量でキャラ立ちさせてるのって本当すごいなと思う。
もちろんシンプルだからいいわけではないけど、シンプルなほどその人の画だ、とすぐわかる。
あだち充とか、高橋留美子とかね。

特に「らんま1/2」なんか、コマの端っこのほうにすげー小さく描いてあるだけなのに、女らんまか男らんまかはっきりわかる。
体型は見えず、顔なんか男でも女でもほぼ同じなのに、でもやっぱりはっきりわかる。

見る目あんのかよ編集部

「画が上手い」人と「マンガが上手い」人って全然違う。
人を描いてください、でうまく描ける人はたくさんいても、人が歩いてくるシーンをマンガにしてくださいでは臨場感出せるか否か。
さらにそこにセリフの妙やら何やらがあって面白くなるわけだけど、どういうわけか素人のぼくが読んでも「これつまんねえな、下手だな」って思うような新連載がジャンプで始まっては打ち切りにあっている。

マンガ家目指す人なんてわんさかいそうな気がするんだけど、それで一握りの選抜された人に対してそう思ってしまうのはなんでなのか。

お前でもできるなら俺でもできるんじゃね的なこと思っちゃいますけど

同じようなことを飲食店でも思う。
今日ちょっと失敗しちゃった。てへ。
みたいな料理を出し続けてる店って美的感覚やら味覚やら狂ってるんだろうに、なぜそんな人が飲食店始めようと思うんだろう?
めちゃめちゃうまい!ミシュラン三ツ星!とはいかなくても、そこそこうまい、というレベルにすらない店とか、もはや不思議ですらある。

とまあ、話はそれたけど、今、ジャンプのマンガ面白くないね。本当に。