初めは「非生産的なことに価値を見出すのは」と書いていたが、価値があるのならばそれは生産的と言えるでは? というどうでもいい自問自答ループにハマったため、「価値」から「何か」に置き換えた。という、これ自体どうでもいい解説。
ミニマリストとファッションの距離
ファッション。それは結局趣味であり遊びであり、無駄を楽しむためのものなのだ、と結論している。
だから、例えばどこかのミニマリストのように、シャツはこれ、パンツはこれ、と制限を設けていくのは、便利だしライフハックではあるが、本質からは遠ざかる行為だ。
なぜなら、面白くないからである。
面白えってのは大事なことだぜ。
まあこれも微妙なラインで、おそらく「制限」という言葉のせいなのだろうな、と思う。
ナイキのエアマックスが大好きで、1、90、95等など各種集めてそれしか履かない人がいたとする。
それは「制限」だと思うが、ミニマルではないだろう。
ミニマリストがやるのは「制限」という名の禁欲に違いない。
禁じている時点で未完成かもしれない。
禁じなくとも無欲になった状態こそ、究極のミニマルで、現状維持なのである。
ぼくとミニマリストの思考の違い
どちらかと言えば気に入ったものを長く使うし、同じもののリピート購入だって辞さないため、ぼくもミニマル志向の人間だと思われるケースは多々ある。
一番大きいのはシンプルなものが好きだという点だろう。
シンプルなものが好きなのとミニマリストであることは月とすっぽん。
例えるならばぼくは「シンプル」というキーワードで拾ったものをごちゃ混ぜに録画していくHDDで、「オーラリーのカットソー」「リーバイスの501」という特定の番組だけを予約しているHDDがミニマリスト。
今年の夏は異様に暑く(毎年思っている気もするが、しかしそれ以上だと確信するくらいに)、グラミチの短パンを買い足そうかと思っている。
一般的にどれくらいの頻度で洗濯するものなのかよく分からない。
が、ジーンズを半年洗わないのも普通だと思えるぼくの感覚からすると、1週間くらい同じ短パンを穿いていても別にいいか、という気はする。
だから月火水木金グラミチの短パン、土日に洗濯、こうすれば短パンも1枚あればこと足りる。
本当に最低限の服だけにするならば、だ。
しかし、ファッションの無駄を楽しむ余白として、なくてもいいものを買いたくなる。
土日に予定があり短パンが穿きたければルーティンは崩れてしまうし、平日だってしょうゆをこぼして急に洗濯が必要になるかもしれない。
ここで同型、同色のものをもう1枚買おうという選択肢こそ、非常に合理的でミニマルな思考。
違う型、違う色を買おうとするのがファッション的思考だと言える。