「またスニーカー買ったの?」について
でも、ガチな人たちと比べたら全然大したことはない。15足くらい。
それでも均等にローテーションしたらそれぞれ月に2回しか履かないわけで。
コスパを考えるとこれ以上増えたらオブジェ化しそう。
「またスニーカー買ったの?」
「またスニーカー買ったの? スニーカーばっかり買っても意味なくない?」
とちょくちょく言われる。
うん、まあ、言いたいことはわかる。
きっと、似たようなケースで「また似たような服買って……」と家族や友人に白い目を向けられたことがある方もいらっしゃるかと思う。
そんなあなたを、gssmboyは守ります。
その靴、最後にいつ洗った?
なんとなく靴ってのは、人によってはないがしろな分野だと思う。
ファッションが好きな人でもね。
例えば短靴、コンバースオールスター、アディダススタンスミス、そんな必要最低限のものを履き回してあとは靴より服にお金をかけたい、みたいな。
でもさ、そういう人ってぱっと見お洒落っぽいかもしれないけど、スニーカーすっごい汚いんだよね。
ぴかぴかのスニーカーって少し気恥ずかしいから、多少やれてるのがいいってのはわかる。
が、手入れしながらくたびれていってるのと、ただ放置されて汚れていってるのって全然違うわけ。
今風の、小綺麗な格好している奴ほどそんな感じだから、余計に気になる。
美学はどこにあるんだ? と思う。ブームに乗って買ったニューバランスが泣いてるぜ。
スニーカーばかり買うのは無意味なのか?
スニーカーが好きな人の心理では、それはただファッションアイテムっていうだけじゃなくて、フィギュアとかCDとかを集めるのと同列に考えてる。
だから、増えすぎたら履かないかもしれないけど、歴史とか背景を持ったプロダクトを所有してるのが嬉しいのだ。
CDだって、ファンなら欲しいじゃん? wavとかmp3じゃなく、形ある物として。
1日に音楽聴いてる時間ってせいぜい1時間とかだと思う。
長く見積もっても平均したらそんなもんだろう。聴かない時もあるだろうから。
それなのに、CDが増えていくのは無駄って言われることはあんまりないな。
むしろ売れないことを嘆く風潮さえある。
文化的だからか?
スニーカーに文化がないと見なされるなら、これは由々しき見解の相違。
無意味でいいのだ
無意味なことこそが人間を豊かにしている、とぼくは思う。
よくオリンピックに例えるんだけど、ボルトが地球で一番速く走れても結局自動車よりは遅いじゃん。
じゃあ、速く走れることになんの意味が?
意味なんか必要ない。 ただ、その行為が人の胸を打つという事実だけがある。
無駄を愛せない人間は、退屈だ。
だからぼくはミニマリストが嫌いなのかもしれない。
シンプルに生きることと過剰な禁欲、これは似て非なるもの。
ものを大事にしているのか、ただただ物欲を失い新しいものを手に取ることを放棄したかつてのファッショニスタの大義名分なのか。
まとめ
スニーカーばかり買っても意味はない。
あえて意味を見出すなら、見て履いて楽しいから、とかその程度だ。
それ以外何が?
楽しむことを忘れてたら、生きてても意味なくない?