レアなスニーカーがレアである理由について

鷲尾ケイゴ

こいつの影響下かどうかは知らないけれど、スニーカーブームは衰えることを知らない。

新作がリークされるたびにSNSは盛り上がり、発売日にはどこかでピリついた独特な空気を漂わせる。

SNS事情や街の景観すら変えてしまうこのブームについて考えを書き連ねる。

はじめに

エアジョーダン1シャドウ購入
エアジョーダン1シャドウが今日発売。あとオフホワイトのヴェイパーマックスもか。

ぼくにコルテッツiDを作ってくれた友人は、そもそもほとんどファッションに興味がなかった。

が、ぼくがスニーカーの話をするうちにどんどんスニーカー好きになった。
短期間でオニツカタイガー2足とナイキ エアマックス1アニバーサリーとを買い、さらにAJ1を本日買ったという。

SNKRSで発売とともにオンライン戦争。勝利。ビギナーズラックってやつかな。

ぼくはiDを手に入れたことでスニーカー欲は若干落ち着いている。
今欲しいものというとなんだろうな。
NMDなんかはデザイン的にも履き心地的にも欲しかったんだけれど、もう今更いいかって気もする。
あと、やっぱ、どっちかっていうと今の時点ではナイキのが好きだわ。

それはさておき。

AJ1、ひいてはジョーダンシリーズはナイキの中でもトップクラスの人気を誇る。
見た人は見たと思うけれど、ものによっては購入をめぐって文字通り暴動がおこるレベル。

今回はこれについてちょっと考えてみようと思う。

入手難易度と人気の関係

バレンシアガのダッドスニーカー
入手の難しいものほど、人気がある。
大雑把に、これは言い切って間違いない。

人気があるから手に入れにくい、というのもあるけれど、大体は人気を見込めるものはブランド側が弾数を絞る。

例えば今回のAJ1シャドウは約5年ぶりの復刻。
手に入れたければ、今までは中古や新古品を定価より高い価格で探すしかなかったわけだ。

手に入れたくてもモノがない、というジレンマ。

ここでブランディングマーケティングについて考える。
果たして、こういった人気商品がいつでも手に入るものになったら、変わらない人気を維持できるのだろうか

ツイッターにてリサーチ

って気になってツイッターでアンケートをとってみたんだけれど、そもそもぼくのフォロワー層が「今現在プレミアスニーカーが欲しい」と思っている層とあんまりかぶってないから参考にならず。

今欲しくないけれど、気軽に手に入るなら欲しい、という層の意見。
今欲しいけれど、普及するならばいらない、という層の意見。
両方が知りたいのだが、前者ばかりだった。

友人Mにリサーチ

コルテッツiDのお方。

「むずかしい。買うけど、自分の靴の中での順位は下がる」

スニーカーショップの兄ちゃんにリサーチ

たまたまその時AJ1を履いている店員と話す機会があった。

「やっぱり欲しいと思うけど、今ほどの熱ではなくなると思う」

ソルトさんにリサーチ

「あればもらうし履きたいけど自分では買わないです」

ANTI SOCIAL SOCIAL CLUBのようなケース

ASSCネオンロゴ
スニーカーではないが、クオリティよりもブランディングの巧みさによって需要が供給を遥かに超えたケースとして、アンチソーシャルソーシャルクラブはいい例である。

『HYPEBEAST』も加担していると言うべきストリートファッションで起きる“ハイプ” -いわゆる炎上や興奮や熱狂のようなもの- は、シーンを盛り上げると同時に、レアなアイテムの発売を待つ時間さえこのカルチャーの一部としている傾向がある。人気アイテムを手に入れるために店頭に長時間並んだり、海外サイトの発売時間に合わせてパソコンやスマートフォンを繰り返しリロードし、その到着を辛抱強く待つというのが“常識”のようになってはいる
(中略)
〈Anti Social Social Club〉のデリバリーは遅いというのは知っているが、いくらなんでも……という意見が多数。そしてここで思い出したいのが、ストリートウェアという市場を動かしているもの・各ブランドの人気の裏側にあるものは、ブランドに関わる人物の人間性や、その人間性を形作ってきた経験・ストーリーであるということ。それに魅了されてしまったら、遅いシッピングでもやはり辛抱強く待ってしまうのというのが常なのだ。


「ハイプというものがストリートウェアの流行を左右し、あえて希少に作られたものについて触れ回る事で、それをみんなが欲しいアイテムとして変換させるんだ」


アンチソーシャルソーシャルクラブの商品が届かないと1,000人以上がクレーム!? | HYPEBEAST.JPより

人がファッションに求めるものとして、機能性であったり品質であったり、これは正しいベクトルだ。
でも、話題性とか純粋に街中で映える(つまりは話題性も含めだが)、というのも純粋に機能と呼んでいい気がするし、間違ったベクトルではないと思う。
それが、品質はめちゃめちゃにちゃちな代物でも。

アンチソーシャルソーシャルクラブは服のクオリティを支持されているブランドではない。
デザインや、オンラインでのみの受注販売など、昔ながらのストリートブランドがやっていたやり方。情報と弾数を絞ることによっての話題性がSNS全盛の時代にぴったりとハマったのだ。
これはこれでクール。

いいものを作ることと、それを売ることは、また別の話だ。
逆に、売れたものはいいものとは限らないが、売れることによりいいものになる、ってケースもあるって話。

伝説の仕掛人

話を戻そう。

ストリートカルチャーは大きく時代性が関係している。
トレンドが生まれ消費され、その中にカルチャーはある。
消費されずに残った部分がカルチャーとして根付く、という方が正しいか。

だからジョーダンシリーズのようなレジェンド級の存在はいつでもレジェンドたりえる。
そのバックボーンが形骸化し、スニーカーとしてのデザインや機能だけが残り、大量生産のモデルになったら、今と同じではいられない。

伝説は、誰かが作るものなのだ。

まとめ

外国人の大量転売など、本当に欲しい人のもとに届かない、という事象。
人気あるバンドのライブチケットなんかもよくある話。

これは確かに問題だし、常に売る側は正しさを求められているのだけれど、それらがすべて解消されたら果たしてモノは今と同じだけの価値を維持しているのだろうか?

ぼくは多分維持していないだろうと思うし、もちろん悪質な転売なども擁護する気はないが、それらを含めてのブームでありカルチャーなんだろう、と納得はしている。