スケーターのライフスタイルにディッキーズがなじんでいる証。
ぼくが美しいと思うのは、身の丈にあっていて、無理がなくて、機能とデザインが調和したものだ。
そういうものが自分の好みの中に長く生き残り、スタンダードに変わっていく。
なぜジーンズを穿くのか
ぼくの普段着において、大きなウェイトを占めているジーンズ。
なぜジーンズはぼくの普段着足りえるか?
わざわざ明言化したことがない気がするから、自分の脳内を整理する意味でも書いてみようと思う。
習慣だから
これを言ってしまうと元も子もないのだけれど、まあ、しかし、そういうことだと思う。
リジッドのジーンズを穿く、色落ちの原体験は確か20歳の頃で、そう考えるとジーンズ歴は(幼稚園の頃とかも穿いてたとは思うけど、意識して明確にスタートした地点から数えれば)もう10年近くになる。
スタートはヌーディージーンズ。
カタログを見ていて「ここに載っているジーンズは同じものが店頭にない。何故ならスタッフが長年穿いて色落ちしたものを撮影しているから」なんて噂を耳にし、それは単なる噂ではなく事実であり、わけのわからないロマンを感じたのである。
一点ものとか、オリジナルとか、そんな響きに惹かれるのは男の本能で、その感覚が分からない奴はきっと永遠に分からない。
というわけでそこからずっとジーンズを穿いている。もちろん、それ以外のボトムスも履くけれど、普段着の中心にはずっとジーンズがある。
もはや習慣だから。
汚れてもいいから
これは非常に大きなメリットである。
洗わず、汚れても、「ジーンズだから。こういうもんだから」と大義名分が立つ他に類を見ない衣料だ。
要するに大抵のことは味だとか風合いだとかそんな言葉に持っていけるから、扱いが適当でも構わないのがジーンズのよいところ。
モテるファッション指南みたいなものが読みたければ、今すぐこのタブを閉じるといい。
飽きにくいから
色落ちするから、絶えず見た目が変化する。変化せざるを得ない。
これをぼくらは経年変化などと言ってその良し悪しをいつも推し量っている。
極端な話、変化しないものなんか存在しないのだけれど、それを顕著に感じられるのがデニム素材というわけだ。
スラックスをロールアップなんかしないだろうが、ジーンズはその時の好みで短くして穿いたり腰で穿いたり、自由度が高い。
ファッションのセオリーにあまりとらわれずに済む服だと言える。
当然、セオリーをあまりに無視すると、おかしな格好になる恐れがある。
それでも、ファッショニスタもその辺のダサいおっさんも、ジーンズは穿く。
ジーンズは優しい。
だからジーンズを穿く
自転車に乗っている時間が長いから、タフで楽でその上汚れを受け入れてくれるジーンズは、めちゃくちゃ理に適っている。
短期的に見ると、他にもっと効率的な服はある。
そもそもサイクリスト向けに作られたジーンズもあるし、ジャバラ式の可動域を設けたバイカージーンズも、自転車用に流用できる。
ストレッチの入ったボトムスを選べばもっと楽だろう。
でもやっぱり、5ポケットパンツのこの形なんだよな。
最後には理屈ではないというか、ジーンズのクラシックな形がぼくにとって一番美しいのだと思う。
まとめ
毛嫌いしていた短パンも穿くようになったし、ハードコアパンクバンドマンのものだと思っていたディッキーズも穿くようになった。
こうやって好みは変わっていく。
だけれど、ジーンズに飽きるということは、きっとないだろう。