道具としてのジーンズについて

気持ちは変わる

ジッドからおろしたばかりのジーンズは、とても気を遣って穿く。
雨が降ったら傘があろうと穿きたくないし、ちょっと飲み物をこぼしただけでも神経質に拭くし、汚れてそうなベンチには座らない。

が、穿き始めてしばらくすると感覚が変わってくる。
まあいいか、の精神で色々なことを受け入れ始める。
ずぶ濡れになるのはやぶさかではないが、多少のトラブルはつきものだ。
ぼくもケバブの油を垂らしてしまったものの今では全然気にしていない。
某ブログでは二郎をこぼしていた。ジロリアンのジーンズはかなりクールな色落ちをしていた。

実情

というわけで梅雨本番だが、多少の雨ならプチニューを穿いている。
単純計算で1日10時間×60日、600時間も穿いていればそろそろ洗濯も視野だ。色落ちになんか興味のない人からしたらとんでもなく不潔とも言う。
たぶん平均で10時間以上穿いていると思うので、なおさら。

あくまで自分の感覚でだが、臭くもないし天日干し等の対応で殺菌し穿き心地もべたつかないのでまだ洗わないけど。

リゾルトのおじさんいわく、ジーンズは、道具。
使うのに気を遣う道具は、使いやすいとは言えない。
穿いていることを意識すらしなくなってきてから本当の意味でスタンダードであり道具なのだろう。

まとめ

だからぼくは食べカスが気になるような高級ルームウェアなんか欲しくないし、ああいうのは万札を100円玉の感覚で使える人のものだと思っている。
気を遣って着る部屋着なんて、洒落にもならない。

そういう意味ではぼろぼろになっていく様が美しいデニムやレザーは、ファブリックとして本当に好ましく思う。