1080×1080ピクセルのためのファッションについて

instagram

SNS全盛の時代。
ぼくの中でのとらえ方も、以前とは変わってきた。

二元論というか。ネットを映えさせる一つのツールだと思うようになっている。
服を使おうがランチを使おうが、同じベクトルなんだ。それが写真投稿SNS

記号化、単純化について

記号

道徳なんてものが、そもそも単純化の最たるものでしょう? つまり、知識のない子供や頭の悪い大人にルールを教えるための記号なんだから。


森博嗣数奇にして模型』より

余談。「だが断る」というジョジョの有名な台詞がある。
ぼくはジョジョを読むまで、てっきり主役が言う台詞だと思っていたのだが、岸辺露伴の台詞だった。
主役以外のメインキャストが印象に残る台詞を吐くストーリーというのは、だいたい、名作だ。

さて、先の引用は記載の通り森博嗣の『数奇にして模型』で主役ではないキャラが言う台詞。
誰が言うのかなんてことは、既読の人は分かるから説明の必要はなく、未読の人は名前を言われても知らないのだから、やはり説明の必要はない。

話を戻そう。
ぼくはこの台詞が好きだ。

大人になるとはすなわち、単純化、記号化。
社会性というのは、要するに、その記号の集合の中に身をおく能力である。

喜ぶ。怒る。哀しむ。楽しむ。
その裏側にある細々した感情は廃し、平均化し、文字にする。記号化する。システム化する。

結局のところ、個人の持つ意見や感情を100%アウトプットすることは、どれだけ言葉を尽くしても無理なのかもしれない。

あるいは、ファッションにおけるそれ

ハッシュタグを使ったディスプレイ
ファッションに還元して考えてみる。

記号化の分かりやすい例としては、インスタグラムのハッシュタグがそう。

メインアイテムならまだしも、インナーとして着ているTシャツがユニクロだろうとプラダだろうと、インスタを通じてぼくらの目に映るのはせいぜい200×200程度の解像度の範囲。
問題はそこではなく、#prada という記号が重要なのである。

もはやファッションは現実だけで作られるものではない
各々がプロデュースするのはコーディネートのみならず、脚の長く見える角度、顔の小さく見えるポーズ、フォトジェニックな背景、それらをより引き立てる写真編集。
様々な条件を満たしてこその、おしゃれインスタグラマーなのである。

だから極論を言えば、そんな技術に長けていればリアルがダサくてもネットでは格好がつくわけだ。
そこに対しての是非は、特に何も言わない。あまり興味はないけれど、そういった文化、流れが世界中でもはやスタンダードなのだから。

誤用された日本語が、一般化し過ぎて広辞苑に載る、みたいなね。
でも載ったことを知らない頭の堅い大人が、「それはね、そうじゃなくてね」なんてズレた指摘をしてしまう。ナンセンス。そんな感じ。

リアルがダサくて、ネットでイケてる。何か問題でも?

そして、ぼくはブログを書く

nike free flyknit
#nike #run #free #flyknit #riserunrestrepeat #NRC

ぼく自身はその記号化にフィットしているとは言い難い。幸か不幸か。

好きなのは、モードファッションです。
好きなのは、ロックファッションです。
好きなのは、ストリートファッションです。

こんな風に、一言で言いきることが、ぼくにはできない。
自分が好きなものは単純化、記号化させたくない。古い考えなのは分かるんだけれど。

システムに抗うために、ぼくはこんな風に長々と親指を動かして、意思表示しているのだろう。
「ジーンズが好きでして〜色落ちがね〜つまりこのブランドの生地は〜」ってね。

時代と疎遠、されど、自由

変なおじさん
流行には無縁、どこで買ったのかまるで分からない変てこな服を着ている人がいる。
ぼくは昔だったらそれを「ダサい」という言葉で記号化していた。

でも、最近はちょっと違う見方をしている。
どんな服を着て周りからどんな見られ方をするか、という当たり前のこと、それ自体がシステムだからだ。

汚らしい服を着ていたら怪しい。清潔感のある服を着ていたら好感が持てる。本当に?

大体は本当だし、記号化にいちいち難癖をつけていたら生きづらいから、考える必要なんかない。
ただ性分だからぼくは考えてしまうだけ。

で。
変てこな服を着た人に対して新しい見方。
もしかすると彼らは、周りから記号化される流れから外れた、意志の強い自由人なのかもしれない。

まあ、どういうつもりで服を選んでいるのかなんて、他人には分かりはしないんだ。
だけど、自由に見える人ってのはいる。これは事実。

とどのつまり、まとめ

結局自由でいるためには、哲学や美学が必要なのだと思う。
こうすればいいねが増えるとか、こうすれば自社ブランドの商品が売れるとか、そんな思惑がファッションに増えれば増えるほど不自由で、自意識とズレが生まれてくる。
いや、ズレたことなんて本人にも分からないのかもしれないけど、ぼくがそんな人を見るとき、憧憬みたいなものは決してないということ。

なんて、スタッズだらけのライダースを羽織ったパンクスカップルを見ながら考えていた。