The Libertinesについて

ザ・リバティーンズ

ピート・ドハーティが好き。でもその経歴からなかなか来日できない彼に業を煮やし、もうイギリスに留学してやる!そしてこっちから観に行ってやる!
という人のブログを読んだ(10年前くらいの記事だけど)。

そしてなんとなく、ぼくもピート、というかリバティーンズについて書きたくなった。

メンバー紹介

the libertines
ベイビーシャンブルズやダーティープリティ・シングスもいいけど。
やっぱりリバティーンズだよ。
何が違うって言われたら難しいけれど。
ベビシャンもDPTもリバティーンズのメインソングライターがやっているバンドだし、彼らが歌っているんだから、特徴はリバティーンズと近い。
だが、やっぱりリバティーンズには勝てない。

そう、リバティーンズにはソングライター兼ボーカルがふたりいるのだ。まるでレノン・アンド・マッカートニーみたいに。

ピート・ドハーティ(右)、そしてカール・バラー(中左)。彼らがリバティーンズのフロントマン。
このふたりをちゃんと中黒入れて予測変換できるGoogleのキーボードを褒めたい。

ピートはしょっちゅうキマっちゃってて、インタビューなんかでもカールと話が食い違ってることがあるからいまいち信憑性がないけれど、ざっくり言うならば

ピートの姉ちゃんとカールが知り合いだった。カールがギターを弾けることを知ったピートは音楽を教わりたくて、しかもカールはピートにとって「男と寝たことはないけれど、どストライク」な容姿をしていた。そんなこんなでふたりは接近し、一緒に住むようになる。とんでもないボロ屋に。ふたりは親友。で、何度かベースとドラムの入れ替わりがあった末に現在のメンバーに固まり、マルキ・ド・サドの作品からとったザ・リバティーンズと名乗ることになる。

という感じ。

まあ結局ベースとドラムはリバティーンズを語る上でそこまで重要じゃないけど。
ジョン・ハッサール(左)とゲイリー・パウエル(中右)。と、名前だけ紹介しておこう。

アルバムレビュー

スタジオアルバムは3枚しか出ていない。
そして3枚目は再結成後に作られたもので、事実上2枚のアルバムで彼らは伝説になった

1st - Up The Bracket

ビートルズみたいなきれいなメロディをイギー・ポップみたいに血まみれになって歌えば売れるんじゃないか」と思った志磨遼平は当時毛皮のマリーズをやっていたけれど、リバティーンズが現れ「先を越された!」と思ったという。

ピートは文学好きなろくでなしだ。
たまに、音楽をやっていなかったらただの社会不適合者だよなと思うタイプの人がいるが、ピートはまさにそれ。

まあぼくはネイティブじゃないから、歌詞を完全に理解できてはいないんだけど、でもウィットの効いた言い回しや知識に裏打ちされた表現が度々あるのはわかる。賢そうな歌詞なのだ。
それをピートみたいなろくでなしが歌っているアンバランスさがリバティーンズだ。

常にドラッグ問題と隣り合わせで、トラブルばかり起こし、PVの中で万引きしたりする。演出じゃなくて本当に。
で、問題だらけで来日できないピート抜きで日本はフジロックにライブしに行ったリバティーンズ。腹を立てたピートはカールの家に機材窃盗で侵入し逮捕される。
うーん。とってもおバカさんである。

ピートについてばかり書いている。
なぜか。ロックスターだから。
もうね、何それって言われてもそうとしか書きようがない。
どれだけ人間性イカれていようと、いい曲を書いて格好いいギグをする奴を認めないわけにはいかない。それが全てさ。仏のようないい人が、クソみたいな曲を書いて、でもいい人だしってライブハウスに足を運ぶかい? 否。そういうこと。

カールがピートにギターを教えたし、曲はふたりで書いている。だけど、才能やステージでの華はピートに軍配が上がってしまうんだ。カールも絶対に必要だし、ふたりがワンマイクで歌う姿は本当に格好いい。でも、やっぱりピートなんだよな。
諸々のバランスを失ったリバティーンズはのちに解散するんだけれど、このファーストアルバムは瞬間的な奇跡だ。

ピートとカールが同じ地平にいられたごくごく短い間の記録。

それに尽きる、ファーストアルバム。
ロックの刹那的な輝きが収められている。ボロボロで下手くそな演奏なのに、何かが胸に突き刺さる。



なんていうか、若さなのかな?
ぼくたち(というかアラサー以降の世代)が高校生のノリを出そうとしても無理じゃん?
ロックのそれ、初期衝動、それがまんまパッケージされたのがこのアルバムなのだ。

リバティーンズ宣言という邦題もセンスある。

2nd - The Libertines

そして、リバティーンズのバランスはこのセカンドアルバムで早くも壊れる。

ピートのドラッグ依存は深刻化し、それゆえカールがメインに制作が進められた。

一曲目Can't Stand Me Now。



これがもうそれらにまつわるいざこざをそのまま歌詞にしたような内容なのだ。
「俺はもう耐えられない」「でもいまだお前を愛している」
男たちの切なく熱い友情物語。

これだ!
ベイビーシャンブルズやダーティープリティ・シングスにないもの!

天賦の才はピートに分があるとしても、カールとのコンビが紡ぎ出す物語はリバティーンズにしかない。

友情物語って書いたけど、いまだお前を愛しているI'm still in love with youって歌詞とか、男同士でも言うのかなって疑問だよね。
ボーイズ・ラブ的な、友情というかもはや愛情。
だっておそろいのLibertineってタトゥー入れてたりするんだぜ。ジャケット見た時、そっち系の人たちなのかなとも思ったし。

ライブ映像観たらわかる。
ふたりがお互いを大好きなことが。
多分その関係性はふたりにしか理解できないのだきっと。

そして、やっぱりカールはピートにコンプレックスを抱いていたんだろうな。
例えばカールはモデルになりたかったらしいけれど、ピートは身長188cmらしいし。ピートの書く曲や歌詞はとてもよく、それらを愛し、同時に悔しかったはずなんだ。更にその才能をドラッグでスポイルしかけている相棒に、複雑な感情を抱かなかったはずはない。

そうして彼らはお互いを必要とし、しかし憎み合うところまできていた。
リバティーンズはこのアルバムで事実上解散する。

セルフタイトルを冠したアルバム、邦題はリバティーンズ革命。

3rd - Anthems for Doomed Youth

紆余曲折があってこのアルバムはリリースされた。邦題はリバティーンズ再臨。

再結成ギグを何度かやって、その度に新作が作られるか? と言われながら作られずにいた。



ようやく出たのがこれだが、もはやリバティーンズの刹那的瞬間的衝動的な勢いはなく、ぼくの当時の感想は「悪くないけどリバのアルバムじゃなかったら聴かない」だった。これはツイッターで他のリバファンからも共感を得た。

お互いが擦り合わせる形でバランスをとるのでは、やっぱり、なにか違う。
100を出し切った状態で均衡しせめぎ合っていたのがリバティーンズだったのだ。

だから、リバティーンズの魅力を知る上で、このアルバムを聴く必要は特にない
1stと2ndを聴いて、ハマりまくった人がおまけで聴くくらいのものだ。

でも、きっと、リバティーンズがまた新作を出すと聞いたらぼくは期待してしまうのだろう。そして、聴いて、がっかりするのだろう。

まとめ

ライブハウスで演奏したあと、バンドメンバーとカーステでデカい音で流し歌ったオアシスのリヴ・フォーエバーのように。
リバティーンズの曲は耳に入れば即座にきらきらした思い出が蘇るようなものばかりだ。

それも刹那。あの頃には戻れない。
それをまざまざと体現しているバンドが、ザ・リバティーンズなのだ。