本田圭佑について
本田圭佑という男は、多くのファンとアンチを抱えている。
結論から言うとぼくはファンだ。
ビッグマウスの裏側
彼のことを話す際によく言われるのはビッグマウスであるということ。
確かにビッグマウスではあると思うのだが、世間一般で言われるそれとはややニュアンスが異なっている、と感じる。
リアム・ギャラガーでも、亀田興毅でもよいのだが、その手のビッグマウスの有名人は
「だって、俺だぜ?」
的な、根拠のない自信というか、自分というものの圧倒的な肯定をもとにした発言をしている。
対して、本田は
「ぼくは凡人である。人より優れた点は決断力と行動力」
と言い切ってしまう。
二十歳ではじめて日本代表になってからずっと変わらず、そして発信しているワールドカップ優勝の目的はブレない。
が、それは「俺たちなら優勝できる」という傲慢ではなく「俺たちが優勝したい」という明確な目標設定以外の何者でもない。
本田は単なる大言壮語を吐く一匹狼ではないのだ。
その自身のストロングポイントである行動力、決断力に関しても、それは自分自身で身に付けてきたものではなく、
「本当に伸びる人間は、いい人間との出会いがある。今まで巡り会えた人に助けられて、自分の枠を大きくすることができた」
とも言っている。
エゴイストの皮をかぶったサッカー少年
もちろん、今より以前の本田は、言動がもっととげがあった。
これらは全て近年の発言だ。
しかし芯の部分はずっと変わっていないと思う。
甲子園の球児たちがみな貪欲に優勝を追い求めるように。
純粋な願望としての目標設定を本田は発信する。
そこにメリット、デメリットどちらもあることを知っていて、それでもなお発信する。
球児たちは手厚く歓迎され、本田らビッグマウスと言われ時には疎まれるのは何故なのか、この辺は以前も書いた内容と重複するので省くが、とにかく彼は傲慢なだけの一匹狼ではないのだとぼくは信じている。
プレーヤーとして
ミランのファンであり本田のファンであるぼくからしても、移籍してからの2シーズンとちょっと、いいパフォーマンスをしているとは言い難い。
光明はあった。
日本代表でポゼッションから縦に速いカウンターに戦術移行したのはミランで前監督インザーギが求めていたものにかなり近かった。
本田は代表でもトップ下よりも右のウイングで出場する機会が多くなり、ミランでもそのポジションを勝ち取ったのだ。
ゲームメイクよりも、裏への抜け出しとフィニッシュを求められた。
昨シーズン序盤、エル・シャーラウィとのウイングのコンビネーションは光るものがあり本田はゴールを量産し一時は得点ランキングトップに立つこともあった。
しかしエル・シャーラウィは怪我で戦線離脱し、前線補強も中途半端なミランはその後精細を欠いた。
メネズがセンターフォワードになる機会が多かったが、メネズはコンビネーションよりも自身のパフォーマンスを優先し、ボールロストを繰り返した。
そして、ミランはセリエA上位に食い込むのもチャンピオンズリーグ出場も不可能になった頃、本格的にバラバラになってしまった。
ここにクリスティアーノ・ロナウドがいたら? メッシがいたら?
もしかしたらミランは化けていたのかもしれない。
だが、そうならない可能性の方が大きい。
ワールドカップでのロナウド擁するポルトガルは、無惨な結果だった。
ひとりのスーパープレーヤーがチームを変える可能性は勿論あるし、それらのスターと本田を較べるのは酷だが、にしてもミランの不甲斐なさを10番ひとりに背負わすのはナンセンスだと、ぼくは考える。
日本代表で中村俊輔とどちらがフリーキックを蹴るかと揉め、
「最近決めてないですよね? ここは俺でしょ」
と言ったのは有名だが、その本田自身フリーキックはかなり長い間ゴールから遠ざかっている。
フリーキックの精度が選手の良し悪しではないし、あの名手ベッカムでさえフリーキックのゴール率は1割程度。
それでも少し残念な気はする。
本田が選手として一番良かった時期はもう過ぎてしまったのだと思う。
ただそれはあくまで基礎能力的な部分でのことで、戦術理解やメンタル面でのことではない。
インザーギがミランを去り(更に言えばエル・シャーラウィもモナコにレンタル移籍し)、ミハイロビッチ監督の元では再びトップ下のポジションを争うこととなった。
ミハイロビッチのシステムにはウイングが置かれない。
「自分のスタイルを貫くのであれば移籍というのも視野に入れるべき。でも、今は違う。このチームで結果を出したい。ミハイロビッチが求めるものにアジャストさせていきたい」
プレーヤーとしての晩年も見えてくる年齢である本田は、こんな泥臭いことも言っていた。
それを衰えからくるものと見るか、成長と見るかはシーズンが終わる頃にはわかるだろう。
本田が何かにめちゃくちゃ特化した選手だとは思わない。
が、勝利へのこだわり、そして、大舞台で技術を超えたところで求められるギリギリのメンタリティは、誰にも劣らない選手だ。