ぼくがファッションで影響を受けた人々について
ぼくはもしかしたら、ちょっと遅かったかもしれない。
ふつうに中学生のときも親が買ってきた服を着てた。
途中から親のセンスと自分のセンスにずれが生じてきたので自分で買いだした。
当然今回紹介しないけれど影響された人はいる。
特に強く影響があったと思っている4人を選抜。
勝改蔵
いきなりマンガのキャラクターかよ。
人物
昔の少年サンデーを読んでいた方には伝わるかもしれない。
久米田康治作「かってに改蔵」というマンガのキャラである。
ここでは別に漫画の内容なんかどうでもいいのだが、一応説明しておく。
改造人間にされたと思いこんでいる電波な高校生 勝改蔵が、ヒロイン名取羽美にその暴走ぶりを止められつつ、だんだん羽美の方が電波になっていき立場が逆転していく。
そんな感じの時事ネタを盛り込んだシュールギャグ漫画。
初期の画柄(と内容)はかなり苦手なのだが、徐々に画柄が変わって中盤以降は「さよなら絶望先生」と同じような感じの画風に。
初期
からの後期
中盤から後半は好き。
思い出
中学生の頃流行ってたものって興味あるんだけど。当時ぼくは、ファッション誌なんか読んでなかった。
みんなどうやって服装の指針を決めてたのかな?
ぼくは地元の数少ない洋服屋(ジーンズメイトに毛が生えた、いや、さらに毛をむしったような)で人気だというものだったり、格好いい友達の真似だったりとか。
その格好いい奴の真似の中に勝改造も入っていた。
初めてぼくがファッションを意識したのがここだった。
なんでか分からないが、中学生の頃は七分丈で裾に絞れる紐のついたずぼんが流行ってたんだ(いやほんと不思議。だって世間で流行ってたものじゃなくて、自分の身の回りだけで流行ってたから。多分ね。誰がその流れを作ってたんだろう)。
あとPIKOとタウンアンドカントリーのTシャツ。
学ランのインナーにボーダーTシャツとか。ウォレットチェーンとか。七分丈ずぼんにナイキっぽいスニーカーとか。
エアリフトとか履いてた気がする。マンガが手元にないから確認できないのが悔しい。
ピコとかメンズノンノに載ってたわけじゃあるまいし、しかしどの地域の人に言っても「あー懐かしい」みたいなこと言われる。
どう生まれて、どう広がっていったのか。
今読むと「そうそうこれ!こんな感じ!」が詰まってる。
藤原基夫
意外に思われるかもしれないけれど。
天体観測くらいからハマってライブも4,5回行った。BUMP OF CHICKEN。
高校に入る頃には聴かなくなってしまった。
人物
BUMP OF CHICKENのボーカル、ギター担当。
愛称は藤君。絵がうまい。
思い出
ぼくが坊主の野球少年だったからなのかな? ロン毛に憧れた。
その頃のバンプのメンバーは藤原とギターの増川がロン毛で(でも、今見るとロン毛というほど長くもない)、「髪伸ばしてえ」と思ったものである。
高校に入って髪を伸ばしだすも、校則とのバトルになるのは完全な余談だ。
藤原はN.Hoolywoodや古着をよく着ていて、いつ見ても大体コンバースのスニーカーを履いていた(と思って画像検索してみたけど、バンズが多かった)。
なんとなくそれが格好良く見えた。
ぼくは藤原の顔については「なんか冴えないしオタクっぽいなあ……」と思っていた(最近は、垢抜けてる気がする)。
なんか冴えないなあ、でもなんか格好いいなあ、なんか、なんか……
この辺で、「服装って人の印象を大きく変えるぞ」と、ぼんやりと思ったのかもしれない。
直接的に服を真似したりとかはしなかった。
でも、あんまりお金がかかってなさそうだけど、地味に格好いい。みたいな雰囲気は、もしかしたら今も好きなものの根底にあるかな。
Jay Kay
やっぱりミュージシャンが多い。
人物
Jamiroquaiのボーカル担当。「カップヌードルガイイヨ~」の人。
間違われがちだが、ジャミロクワイはバンドである。
T.M.方式のソロプロジェクトではない。
新宿でゲリラライブをやっているのを観たことがある。
ステージと車の移動間Jayとその他のメンバーで警護に雲泥の差があったのはここだけの話。
思い出
ジャミロを最初に聴いたのは高1か高2か。
ファンクをディグってる時期で、ブックオフで安くそれっぽいCDを探しては買ってた。
もろ「ファンク・オデッセイ」っていうタイトルのジャミロのアルバムがあった。
でも好きなのもいくつかあって、そこからJayを知った。
だいたいいつも、アディダスのトラックトップを着ている。
スニーカーもアディダスが多いかな。
ついにぼくはその境地にたどり着けなかったんだけど、外国人ってジャージを着てもだらしなさとか部屋着っぽさが出ないのがすごい。
外国人で似合わない人もいるんだろうけど。日本人よりはジャージのアベレージが高いはず。
最近だと「もうGood Night」か。
黒人ミュージシャンでもアディダスの愛用者は多くて、そっち系音楽の影響もありつつアディダスにハマる。
ジャージを集める。
でも、うーん、やっぱジャージって難しいわ。
そんな高校生時代だった。
友人K
大学時代にサークルで出会った。
電話帳に名前を登録する際、ひらがなにするという謎のこだわりを持っていた。
人物
酒乱でUKロックが大好きで厭世的という、ピート・ドハーティを庶民にしたような男。
後に再会した際、酔って女を殴り訴えられ前科持ちになっていたというクズっぷりだが、嫌いになることのできないキャラ。
思い出
ここでも彼に触れている。
大学生当時、ぼくはファッションと言えばかなりの足し算党だった。
TUNE、FRUiTS等の雑誌に代表される、個性を押し出したファッション。
現代のシンプル、ノームコア、ミニマル、そういったのと逆のスタンダードが当時はあった(主に原宿界隈に)。
黄色いアディダスのトラックトップに、水色の古着のチャンピオンのパーカ、グレーの古着のリーバイス517スタプレ(オーバーサイズ)、白緑のアディダスのスタンスミス。
ぼくは、そんな珍妙な格好をしていたのである。
友人Kは本当に毎日同じような格好で、バンドTにリーバイスレッドのジーンズにコンバースオールスターハイカット黒。
「その靴しか持ってないの?」「同じのが3足あって、壊れたやつはまた同じのを買う」
この言葉はかなり鮮明に覚えていて、ここからぼくの普段着ユニフォーム化みたいな意識が生まれたのは間違いない。
お洒落と格好よさ。
このふたつがまったく別のベクトルであると、彼から教わった。
引き算を覚えた18歳。
まとめ
これらの人物の格好を意識し真似していた若かりし時代を経て、今がある。
学生時代に体験したものは、芸術であれ音楽であれ服装であれ、かなり大きな爪痕を自身に残すものだ。
逆に言えば、社会に出てから影響をされるものというのは、よっぽど大きな衝撃なのだろう。
自身を変えるほどのそういった衝撃は、このところない。