今の時代、情報はたいてい無料で手に入ってしまうが、果たして紙媒体はいかに生き残っていくのだろうか。
お金を出して得る情報に対し、無料で読めるブログはどう発信していくべきなのだろうか。
なんてことを考えていたのでつらつらと書いてみようと思う。
ブログで何を書きたいか
ぼくはGSSMBOYの逆襲で、色々な要素を交錯させた空間を作りたいと思っている。
どういうことかというと、例えばadidasのスニーカーについて興味を持っている人が、検索でここにたどり着き、そこからビースティ・ボーイズやジャミロクワイなどのadidasを愛したミュージシャンに興味を持ち、さらにそこから……
みたいな感じで、ファッションや音楽、カルチャー全般がリンクしたもの、もっと言うとぼくの好きなものたちがリンクした図式を表したいのだ。
まあそれは理想形で、なかなかブログごときで人様の価値観にヒットするようなパンチを打つのは大変である。
でも、なるべくなら、その理想形に近づけたいし、自分が考えている最新の思考にブログを沿わせていきたいと思う。
ノーカルチャーとは?
ノーカルチャーなる潮流があるという。
呼称自体は多分定着したものではないから今後どうなるかはわからないが、中身はこんな感じ。
特定のカルチャーをバックボーンにせず、ロックでもヒップホップでもスケートボードでもサーフィンでもアメカジでもサブカルでも、気になったファッションは取り入れていく、という新世代。
確かこれはメンズノンノのコラムで見かけた言葉で、「ああ、俺の知っているメンズノンノはもう終わってたんだな」と思わずにはいられなかった。
ドクターマーチンを履いていたらUKロックやパンクに興味が? なんてのは今後ナンセンスになっていくのかもしれない。
Instagramの弊害
結局これは写真投稿タイプのSNS譲りの流れなのだと思う。
モノの背景や作られる工程などはどうでもいい。見栄えがいいかどうかが全て。
ノーカルチャーファッションが意図せずミックスしたもの同士が新しい何かを生み出す可能性は否定できない。
だが、考え方についてはやはり寂しいと思わずにはいられない。
カルチャーを廃したファッションは、いわばコスプレだ。
メンズノンノはどこへ向かうのか
もっと深読みするのであれば、紙媒体のファッションメディアが必死になっている弊害なのかな、という気もする。
例えば、ライトニングはアメカジという強力なバックボーンがあって時代に左右されにくいが、メンズノンノは特定のカラーを持った雑誌ではなく、20代男性がざっくり読めるようなトレンド感の強い雑誌だ。
トレンドの情報は、もはや紙媒体をわざわざ購入して得るメリットが希薄になっている。
雑誌に限らず、CD、レコード、漫画、小説、色々なものがそうなのだが、取り分け雑誌は使い捨て感が強い。
次の月には必要のなくなる可能性の高いから。
付加価値としてブランドものの付録を付けたり、付け焼き刃の色付けをしたり。
外国人モデルは廃し、日本人モデルの起用。これはリアルではあるが、読者モデルの延長のような安さも感じる。
よく言えば変化、悪く言えばブレ。みたいなものが出てくる。
青春時代、色々なカルチャーを雑誌を通じて学んでいたぼくからすると、モテに特化したり、ノーカルチャーなる潮流を生み出したりするのは、もはや買う価値のない雑誌。
ストリートジャックの休刊
ストリートジャックが休刊になるという。今後は不定期に出るとのこと。
まあ仕方がないのだろう。
「20周年を機に新たな方向性を模索する中で、成長が見込めるウェブの強化を図り、デジタルコンテンツと紙媒体の融合を目指しながら時代に即したコンテンツメディアとして事業を本格的に進める」
とのことだが、要するに雑誌が売れないという話。
時代か。なんていうのは簡単だけれど。
情報の取捨選択
https://twitter.com/tyaaahaaan/status/815513880059252737
一方ネットで無料で得られる情報には、読者を騙そうというものだってある。
ぼくは、なんの知識もなくただ広告リンクを踏ませるためだけに書かれた記事は、害悪でゴミクズだと疑わない。
が、きっと多くの人が「間違いないこの冬の鉄板アウターベスト5!」なんて記事を「なるほど」と読んでしまうものだとも思う。
デザインがある程度整っていて、さも「私こそがファッションマイスター。あなたに有益な情報を授けます」という空気感を持ったサイト、ブログ、まとめにこそ是非それは果たして真か偽か、自分の感覚で問うてほしい。
時代の狭間でなんとなく前に出てきてしまったYouTuberがファッションブランドを立ち上げ、馬鹿から金を巻き上げる。
こんな直接的な話でなくても、きっと知らない間にあなたが不利益をこうむり発信者が得をするような情報が蔓延しているのがネットだ。
今読んでいるものを信じるな。
まとめ
ぼくは自分の好きなことについてしか書きたくない。というか、書けない。
そのぶん嘘偽りはなく書いているつもりだ。
一過性のものだけに目を奪われず、ぼくの思考が誰かに共鳴するのならば、嬉しい。